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パニック障害・私の場合

パニック障害・私の場合の記事一覧

現在の私

25歳でパニック障害を発病して以来、人と変わりなく仕事をしたり、旅行に行ったりと日常生活を無難見えるように送ってきた私ですが、完全にパニック障害と縁が切れたわけではありません。パニック発作の回数は、一番ひどかった時期の1/100くらいになりましたし、病気とうまく付き合う方法も自分なりに会得したようで...

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パニック障害と車の運転

パニック障害になって困った事のひとつに車の運転があります。運転中にパニック発作が起きたら、これはもうメチャクチャ危険運転といってもいい状態になります。車を道の脇に止め、パニック発作が治まるのを待てればいいのですが、渋滞した道路や一方通行の道、高速道路などでは、それもかないません。かといって田舎では車...

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家族との関係

パニック障害になると重要になってくるのが家族の理解です。きちんとその病気を理解して、優しく見守る姿勢が大切になってくるのですが、これは結構忍耐のいるものであることも事実です。私の場合、最初のパニック発作の時に主人が一緒にいた事もあり、目の前で一連の出来事を目撃し、その後も会社で何度か倒れた際には、同...

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パニック障害と仕事

パニック障害になった人の中には、広場恐怖症や乗り物に乗れないなどの理由で引きこもってしまう方が大勢います。私がパニック障害に対して、これだけは守ろう!と決心したのは「どんな事があっても仕事だけは続けよう」というものでした。そうすることによって社会との係わり合いを保ち、引きこもりにならないため、という...

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乗り物パニック

パニック障害の患者さんの多くは、電車やバス、飛行機などの乗り物に乗れなくなるといった症状を訴えます。私の場合も山手線が代々木駅に近づくと、発作のことを思い出してさらなるパニック発作が出そうになりました。また、もともと嫌いだった飛行機がダメになり、出張や旅行でどうしても飛行機に乗らなくてはならない時に...

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転地療法

パニック障害が発病してから1年半、いっこうに回復のきざしがないまま、黒酢をのんだり、貧血の治療をしたりと堂々巡りのような日々が続きました。そのうちに故郷でもある北関東の町にパニック障害の権威がいるという事を知り、東京から2週間に一度通い始めるようになりました。この先生の治療法は抗精神剤による対症療法...

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ある本との出合い

医学書あさりの日々の中で、私が出会った素晴らしい一冊がについてお話ししましょう。それはイギリスの女性精神科医の先生が書いた本で、パニック障害の症状と対処の仕方が書かれているものでした。今までにもこういったハウツー本は何冊か目を通していましたが、この本は読んだとたんに目からうろこがポロポロと落ち、すっ...

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医学書読みあさり

パニック障害、あの頃は自律神経失調症ともっぱら言われていましたが、その治療法が書かれた医学書やハウツー本を連日連夜読みまくった私は、次第にパニック障害について詳しくなっていきました。元来が本好きで、1日に3冊は読破すると豪語していた私ですが、パニック障害に関しての知識欲は読んで字のごとく「自分の生き...

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自主休職

症状はさらに悪化し、会社でも数回のパニック発作を起こした私は、このままでは仕事にも支障をきたしてしまうと「1ヶ月間自主休業」という選択をしました。自分で勝手に決めて社長に「明日から1ヶ月休みます」と言ったのですから、なんとも困った社員ですね。皆さん同じだと思いますが、考えてみれば幼稚園から小学校、中...

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病院ジプシー

それから症状が改善される様子もないまま、大学病院や書籍で知った専門病院、良いといわれる病院をに片っ端から通院する苦しい「病院ジプシー」時代が始まりました。たいがいの病院では「自律神経失調症」と診断され、抗精神剤や精神安定剤などを処方されるだけの対症療法だけで、まともに病気扱いをしてもらえない病院も多...

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最初のパニック発作

私が最初のパニック発作に襲われたのは忘れもしない25歳の秋。結婚して1年。まだ若く、将来に不安の影などないばかりか、デザイナーとしての仕事も順調で、人生まさに順風満帆の時でした。それまで歯医者以外は医者にも通ったことがないくらいの健康体だったので、仕事にはいささか無理をしていたかもしれませんが、2、...

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